【中東縦断記】ヨルダン編〜アンマン・ペトラ・ワディラム・アカバ〜

ワンクッションです。
今回は別に国外アニメ状況の報告等はありません。
単純にいつもポイントポイントでアニメイベントの記事を書いているので、たまには旅それ自体のことを、旅ブログ風に綴ろうと思ったまでです。
現地を旅する他の方の、少しでも参考になればと思います。
Today I will just write about my travel experience in Jordan. Nothing about anime this time, but I hope this can help other travelers who will go to visit Middle East, especially for a female solo traveler.

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空港からアンマン旧市街へ向かう街並

①アンマン(Amman)

ヨルダンの首都アンマンにあるクイーンアリア空港へは、マレーシアのクアラルンプールとUAEのドバイ乗り継ぎで30時間近くかけて到着した。
空港ではまさかのカメラを機内に忘れるうっかりトラブルが発生。それを空港の係員に説明し、取ってきてもらうのに1時間以上かかってしまった。

空港から旧市街へは、一時間に一本程出ているバス(2.65JOD=約400円)でバスターミナルまで行き、(途中で降りることは出来ないらしい)そこからタクシーで宿泊先の「Boutique Hotel Amman」へ向かう。タクシーは交渉の末、4JOD(=約600円)。

ヨルダンの首都アンマンでは、Anime Lovers in JordanのModarさんと会った他、アンマン城や、ローマ劇場を歩いて観光した。
(ヨルダンアニメ訪問記は前回のこの記事をご参照下さい!→http://otakucrossing.com/jordan-anime/)

ローマ劇場

ローマ劇場。1JOD=150円程で中へ入れたようだが、遠景の方が美しいように感じたので中には入らなかった。

アンマン城へは、途中で道に迷ってしまい、高台沿いの道無き道を歩いていたら、なんと柵で囲まれた遺跡内へ直接入ってしまい、反対側から他の観光客がぽかんとしたように(まさに動物園の檻の中に迷い込んだ人間を見るように)こちらを見ている、ということになってしまった……。

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アンマン城へ

アンマン城

この道絶対違うだろ、と思いながらも引き返さないのが私の悪い癖である。なんとかなるだろう思考の極みである。

アンマン城

アンマン城からは旧市街の街並が一望出来る。有料と聞いていたが、特に料金を支払う場所も無く、無料で見れた。私が非正規のルートから入ってしまったかもしれないけれど。

また、Rainbow Streetというアンマン旧市街近くのお洒落通りも訪れた。
素敵なカフェやお店が並ぶ〜みたいに聞いていたし、旧市街できょろきょろしていたら、道端に座っていたおっちゃんが「Rainbow Streetならあっちだぜ」みたいにわざわざ先度って教えてくれる位だから表参道やシャンゼリゼ通りといった大通り、とまではいかないまでもそれに類する何かを想像していたら、レインボーストリート、これ。
レインボーストリートあ、これなんだ、みたいな。一瞬道間違えたかと思ったけれど、看板見たらちゃんとRaibow Streetって書いてあった。
旧市街のバザールと比べ格段に落ち着いた、閑静な住宅街の中の人気の無い道。私は好きだけれど。

お洒落なカフェや雑貨屋さん……は、私が行った時は何故か全て閉まっていた。レストランがいくつかある他は看板も見当たらなかったし、やっぱりお洒落ショッピングストリートというよりは、代官山の住宅街みたいなイメージなのかもしれない。
唯一、歩き方にも載っていて私の目指していたthe Soap Houseという、ヨルダンの石鹸ブランドTrinityの商品を扱っているお店は開いていた。ただ、メインのRainbow Streetから裏路地に入ったところにあるので、見つけるためにこの通りを三往復くらいしてしまった。
このTrinityは、死海ミネラルを含んだ石鹸やコスメのブランド。
泥パックとか、バスソルトも、大体400円くらい。ソルトスクラブも1000円ほど。通販価格の半値で、イスラエルの高級死海コスメと比べると、大分お手軽。

あと、アンマンの旧市街の路上で売られているフレッシュジュースが非常においしかった。

とうきびジュース

とうきびジュース

フレッシュジュース

フレッシュジュース

このフレッシュジュースを飲むためだけにアンマンをもう一度訪問したいレベルである。
ただのスムージーではなく、砂糖と氷をたっぷり入れてかき混ぜた、いわばフルーツフラペチーノといったものが、苺やメロン、オレンジなど色々なフルーツで、街角にあるジューススタンドで一杯150円程で売られている。サトウキビを絞ったとうきびジュースもあって、これも最高に美味だったので、オススメ。
中東ではレバノン料理がとても美味しいと有名らしいのだけれど、ヨルダンもその影響を受けているのか、料理はどれも美味しくてとても満足。

アンマンはあまり見所ないと事前情報では聞いていたけれど、一日二日は、フレッシュジュースのためにも滞在する価値ある都市だというのが私の感想。

◆アンマン宿情報◆
「The Boutique Hotel Amman」
一泊ドミトリータイプで約1000円。安宿にしてはそこそこ綺麗だし、温水も出るし、オススメ。
宿のおじさんはウィンクがチャーミングで親切だけれど、「夜、死海の泥でマッサージしてあげるから俺の部屋においでよ」と言われたのが、ちょっと怖かったので、そこだけは断っておいた……。

②ペトラ(Petra)

翌日、アンマンを朝の6:30に出発するJett Busで一路ペトラへ。
(チケットは、前日アンマンのバスターミナルからホテルへ向かうタクシーの運転手が、しきりに、「+4JOD(=約600円)で途中でバスオフィスに寄ってあげるよ」と言ってきたのを、前日にチケット取った方がいいかな〜でも4は高いな〜と思い断ったら、普通にホテルのおじちゃんが電話で予約とってくれた。)
アンマン発ペトラ行きのバスはほぼこれしかないと言っていいので、行く方は皆さん早起きするように!
(他にバスターミナルまで行って乗り合いバスで行く方法などもあるらしいけれど、時間かかるからあまりオススメしないとホテルのおじちゃんに言われた)
バスターミナルまでは、同じホテルからバスターミナル行く人が見つかったので、その人と折半させてもらった。

ペトラ遺跡観光をする旅人は、隣接する街、ワディ・ムーサの宿に泊まることになる。遺跡周辺には大体一泊30ドル以上の高級宿、一方安宿は高台の上に集中している。
私が泊まるのは勿論安宿。バスターミナルから、私の泊まる「Sabaa hotel」は坂道を上って車で5~10分程。
バスターミナルからホテルまでは、ターミナル前で声をかけてきたタクシーにそのまま乗車。荷物があったからさすがに炎天下の中歩くのはしんどかったので、文明に頼った。このへんのタクシーはホテルの名前をみんな知っているので、名前を告げるとそのまま連れて行ってくれる。
日本人の旅人はよくValentine Innという宿に泊まるらしく、実際私もターミナルでValentine Innの人に声をかけられたのだけれど、断った。
旅人愛用=ハイクオリティとは限らず、単なる溜まり場になっていることもあるから……。でもこのあたりの兼ね合いは難しくて、旅人ブログでおススメされている宿も、Booking.comで好評価の宿も、実際には微妙ってこともある。

◆ペトラ安宿情報◆
「Sabaa Hotel」
アンマンの時同様、愛用しているBooking.comで予約したのだけれど、なかなかによかった。ホテルのオーナーさんはウェルカムコーヒーを出してくれたし、ドミトリーはなんと貸し切り!シャワーも熱いお湯が出て、布団も綺麗。翌日ワディラムまでのバスの手配もしてくれる。

ホテルに着いたところでタクシーの運転手さんが、「ここで10分待つから、その後一緒にペトラまで降りるなら、+2JODでいいよ」と持ちかけてきた。歩いて降りてもよかったのだけれど、たった一日のペトラでの時間を有効活用したかったので、今回はこのオファーを受けることにした。
あっついウェルカムコーヒーをいただいて、3.5JDでペトラへ持って行くサンドイッチを作ってもらって、待っていたタクシーに慌ただしく乗り込む。
このタクシーに一緒に乗っていた運転手の友達だというお兄ちゃん、なぜかタクシー降りた私についてきて、両替手伝ってくれて、今日一日暇だからペトラの中無料でガイドしてあげるよ、と言ってきたのだけれど、これもちょっと怖かったので断った……。そしたら、「ペトラ見終わった後、ここの入り口で待ってるから、6:30PMに待ち合わせてリトルペトラまでドライブしよう」と言ってきて、断るのも面倒だったのでいいよって約束しちゃったのだけれど、これも結局すっぽかしてしまった。ごめんね、でも旅先での現地民の親切には大抵裏があるからね……。

ペトラ遺跡は★★★☆☆遊牧民に要注意!

8月のペトラは灼熱の地。
ペトラ遺跡の入場料は馬鹿高く、50JOD=約7500円。ペトラ遺跡が舞台の「インディジョーンズ最後の聖戦」の公開以降、元々150円だった入場料が跳ね上がったらしい。需要と供給……。
先に結論から言ってしまうと、ペトラ遺跡は感動した、という人が多いけれど、私は、正直、マストではないかな、と思った。
少なくとも貧乏学生旅人からすると、この入場料には見合っていないと感じた。

入り口を入ったところに馬止めがあって、馬引きが声をかけて来る。
チケット料金にはシークの入り口までの馬の料金が含まれているから、馬に乗れ、と言うのだ。
タダなの?と聞くと、Free!と答える。ほんとかな〜と思いながら馬に乗る。正直一人で歩いていきたかったのだけれど、無理に誘われるから、断るのも申し訳なくて。

馬

でも少し進んだとところで、馬引き、「でもチップは渡してもらうけどな」みたいにぼかしはじめる。
やっぱり!私お金無いから、だったら降りる!と言い張るのを、ちょっとでいいんだちょっとでいいんだみたいにごねられるうちにシークの入り口に着いてしまう。たった10分くらいのライドだった。意地でも払いませんでした、申し訳ないけれど。
こういう時のために旅先では私は20円位だけ入れたダミーの財布を一個鞄に入れていて、ほーら本当にお金無いんだって、と見せて示すようにしている。

さて、ペトラ遺跡第一の見所であるシークである。

シーク
シークは地殻運動の影響によって形成され、水の侵食により滑らかに削られた自然の地質断層。シークを取り囲む天然の岩壁の高さは91-182メートル。途中にはキャラバンなどを象った彫像がある。両側に崖が迫り来る渓谷の中を歩くのはとても涼しい。(それ以外の遺跡を見ている時には、時々影に入って水分補給する必要がある。)

シークを抜けた先に、ペトラで一番美しいと言われる「エル・カズネ」が姿を現す。

エル・カズネ
英語ではThe Treasuryで、宝物殿の意。これは後に盗賊が宝をこの中に隠したと言われる伝説に由来していて、元々はナバテア人によって紀元前100年から200年の間に岩をくり抜いて作られた霊廟だという。
ギリシア美術の影響を受け、来世を司る神々の彫刻が見られるこのエル・カズネは、映画インディ・ジョーンズでも登場し、観光地化された。

そこから更にペトラの奥に進んでゆく。

ペトラ

遺跡内を横切るヤギの群れ

ペトラ

王家の墓

確かに美しいのだけれど、はっと息を飲むような感動は無い。これは単に自分が、人間の文明のなしたものよりも、自然が億万年かけて象ってきたものにより惹かれるからかもしれないけれど。マチュピチュとかウユニ、サハラ砂漠で感じたような心の震えを、残念ながらペトラでは感じることが出来なかった。陽を浴びて薔薇色に輝く岩であれば、グランドキャニオンとかでも楽しめるかな、と。

でも、途中迷いこんだついでにランチ休憩をとった崖からの景色は最高だった。

ペトラ

風がびゅうびゅうと耳元で鳴って、世界を上から見ている感じ。

サンドウィッチ

このあたりの安宿では、私の泊まったところに限らず、3.5JOD=500円くらいでサンドイッチ弁当を作ってくれる。私も、中東名物のヒヨコ豆のペースト、hummusを挟んだ野菜サンドを作ってもらった。美味しかった。

ペトラの中を歩いていると、さかんにロバに乗らないか、と声をかけられる。
本当かどうか知らないけれど、タクシーで会ったお兄ちゃんによると、このロバは病気を持っているから、近づいたりしない方がいいらしい。高いお金を払うのも嫌なので、ひたすら無視。
(と言いつつ、あっさりロバに乗ることになる話はこの後で)

一番最果ての「エド・ディル」に辿り着く頃には、大分体力も削られていたけれど、達成感MAX。ゆっくり見て回りながら歩いていたから、片道3時間半くらいかかった。

エド・ディル

ちなみにここで私が着ているのはキンプリ・アレクサンダーTシャツである

エド・ディルの英語名は”The Monastery”。一世紀頃に建てられた修道院/神殿跡。ペトラ遺跡内最大の遺跡である。
エド・ディル
エドディルの近くには、ペトラ遺跡周辺を見渡せる見晴し台(という名の大岩)がいくつかあって、そのうちのひとつに登ると、ベドウィン(遊牧民)さんがやっている土産物屋さんがあった。

ペトラ遺跡
そこでは数人の一人旅の人が休んでいて、私が少し離れたところで写真を撮っていると、ベドウィンがこちらを呼んで、無料でセージティーを振る舞ってくれた。(後からチップ要求されるんじゃと身構えていたけれど、他の観光客が普通に受け取って支払いせずに去っていたので、私もいただいてしまった)
ここのアブドゥル(確かそんな名前)と名乗るベドウィンは比較的クリアーな英語を話し、商品を売りつけてきたり、お茶代を請求してくることも無く、きらきらと澄んだ目をしていた。
「観光客からぼろうとする人々もいるけれど、俺はそういうのが嫌いなんだ。俺は観光客から英語を学び、色々な言語を学び、世界中のことを教えてもらっている。そういうのが好きなんだ」
他の旅人達が去ってゆくと、彼が、「今日の分の品物は売った。これからベドウィンの家に帰るけれど、見てみたかったら一緒に来る?途中でリトルペトラにも寄れるけど」と私を誘ってきた。それまで頑なにあらゆる誘いを断ってきた私だったけれど、ここにきて、この目と言葉は信じてもいいかな、なんて思ってしまったのだった。(そしてそれは当然のごとく過ちであった。)

ペトラ

ベドウィンのアブドゥル(仮名)澄んだ目を……と思ったら写真だと眩しさで目を閉じてるからよく分からない。

遊見晴し台の下に繋いであった、こんなのに二人乗ったら潰れちゃうよ!というくらい小さくて貧相なロバに乗せられ、崖沿いの道なき道をゆく。

ロバ

ロバ

ロバがよぼよぼすぎてよっぽど歩いた方が早い気がしたのだけれど、乗れ乗れと言われるので断るのも申し訳なくてそのまま乗っておく。
はじめこのベドウィンはボディタッチが全くなくて、だからこそ信用してもいいかな、と思ったのだけれど(大抵海外のやばい人達は初めから馴れ馴れしい)道を進むにつれて、私が落ちないようにと支えるふりをして身体を触ってきたり、あーなんかこれいけないやつかもしれない、という雰囲気に。でもその時には既にペトラ遺跡は遥か後方に……。うん。
ペトラ遺跡のエド・ディルからリトルペトラまでは、かなりアップダウンの激しい道で、途中何度もロバを降りて歩いたりクライミングしたり。

リトルペトラへ%e3%83%a8%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%82%99%e3%83%b3%e6%97%8521
岩山と渓谷の中、時折遠くにぽつんと黒い影があって、それを指さしてアブドゥルは、あれは自分の何番目の兄だ、とか、母親と弟だ、などと説明した。流石に目がよくて、私が見えないような遠くの人影もあっさり認めてしまう。この地域に住むベドウィンは皆互いに血の繋がりがあり、全員知り合いらしい。途中彼が昔飼っていて今は別の遊牧民に譲ったという牧羊犬が一目散に駆けてきて、我々のロバの後ろを追いかけ始めたりもした。
今はペトラ近くの村に集住しているベドウィンだけど、週に何日かは放牧のために山で暮らしているのだという。ところどころにベドウィンのキャンプテントも見える。

すぐ着くのかと思いきや、一時間以上かけてようやくリトルペトラに到着。
ペトラの北に位置するこのリトルペトラは別名Siq al-Baridとも呼ばれ、1世紀頃に、ナバテア人によって、居住と、シルクロードを通ってきた交易商人を泊める目的のためにペトラ郊外に作られた村落の遺跡。車ならペトラの拠点ワディ・ムーサの村から6km、10分程で行けるらしい。タクシーなら相場は15JDほど(2300円くらい)。
エド・ディルからの歩く道は、ベドウィン無しだと絶対迷うからやめた方がいい。
でもベドウィンと一緒にロバで行くのもおすすめしない。
(リトル・ペトラの他にも、地球の歩き方などにはペトラからの遠征コースがいくつか載っていて、ガイド必須みたいな記述があるけれど、このガイドも、きちんと選ばないと遊牧民に変なところに連れてゆかれる恐れがあるから要注意ね!)

ベドウィンのアブドゥルは遺跡の入り口にいた知り合いと話し始めて、自由に見てきていいよと言うので、ほっとして一人で遺跡の中に入る。

リトルペトラはペトラ遺跡と違い無料。
中は私以外に観光客が一組いるだけで、非常に静かだった。

little petra
観光客の他には、自作のフルートだという笛を吹いていたベドウィンのおじさんとその息子らしき現地民がいて、遺跡に登ってみるか?と誘われる。私は一日歩き回ってロバにも乗せられて大分くたくたになっていたので別に登りたくはなかったのだけれど、ベドウィンに「なんで?なんで登らないの?」としつこく言われ、気力を振り絞ってロッククライミングの要領で(ほんとうに!階段も梯子もなく、岩の窪みを使って垂直に登るんです)遺跡に登ったりした。
ベドウィンおじさんは、「無料で奥までガイドしてあげるよ!大丈夫だよ!」としきりに言ってついて来る。
警戒心しか生まれなくて、段々と足取りが重くなってゆく私。

リトルペトラの見所は、
①ペトラ遺跡よりすいていること
②ナバテア人の遺跡には珍しい、フレスコ画が見られること。(ワインにまつわる絵で、一節によると、ギリシア神話におけるワインの神、ディオニュソスに関連していると言われる。)

リトルペトラ

フレスコ画だと思われるもの

遺跡の途中で、崖に登る岩の階段のようなものがあり、ベドウィンのおっさんがこっちだというからついていく。

リトルペトラ
するとベドウィンのおっさん、突然こちらを振り返って言った。
べ「俺は遊牧民社会の医者だ」
私「は、はぁ」
道端に生えていた草を唐突に抜き、
べ「この薬草は身体にいい。お前に処方してやる」
私「は、はぁ」
処方ってどうやって?
「腕と足の付け根まで、四肢にこの薬草をすりつぶしたものを塗ればいい。疲れが一気に取れるよ」
あ、あやしいいいいいいいいいいい!
なんやねんその付け根まで、って!いやいやボディーランゲージで「ここまで」て説明してくれなくても分かるから!意味は分かってるから!そんなんひっかかるの、エロBL小説の脳筋受けくらいだよ!

奥の方にもまだ遺跡が続いていたようなのだけれど、アブドゥルが待っているからと断って早足で戻ってきてしまった。遺跡の奥からは美しい夕陽が見れるそうだったのだけれど、少し残念。
一人だったら絶対奥まで歩いていた。
でもガイドとしてベドウィンがついてきて変なことされたり、チップ要求されるのも嫌だし。
こういう時、青峰くんとかアレクサンダーくんが側にいてくれたらいいのにと思う(都合のいい時だけ夢女子)。
むしろ私は後ろからついていくだけでいいから、火神くんと青峰くんと二人でバックパッカー旅行してくれないかな。190cm超えの男二人ならかなり安全でしょ……絶対ベドウィンとも意気投合して遺跡登ってる。想像したらかわいすぎて泣けてきた。

私も大概騙されまくってるのだけれど、海外一人で旅する女性の方は是非気をつけて欲しい。
私はいわゆる喪女という部類で、要は全くといっていい程モテないしモテる気もない。女として見られたくないから短髪だし男装する時に胸潰し不要なくらいの幼女体型で天パ眼鏡。しかも旅先では服装に気を遣わないから、今回のペトラでも、手作りで印刷したキンプリ(アニメ映画King of Prismの意)の推しキャラ、大和アレクサンダーのバトルスーツを再現したTシャツを着ていた(ばーん)。
だって日本じゃさすがに着れないのだもの!!!

そんな自分でもこういう目に合うくらいだから、並以上の見た目のおなごの方々はさぞかし大変だろうなあと思ってしまう。
本当に気をつけて下さい。

まんまと遊牧民にロバで拉致られている私が言えたことじゃないけれど、海外で声をかけられた時に有効な言葉のひとつとして、
「もう結婚しているから」
というのがある。喪女だろうか結婚願望なかろうが関係無い。嘘も方便。
心に好きなキャラクターの姿を思い描いて、「私の彼はバスケの神様に愛された男なの」だとか「私の旦那は売れっ子アイドルなの」だとか「私の夫は日本刀なの」みたいなことを言っておけば、相手はかなり引き下がってくれます。熱く語れば語る程どん引いてくれます。以前ポルトガルで声かけてきたおっさんに試したら有効だった。

ただ今回の遊牧民アブドゥルに対しては、「結婚している」じゃなくて、「付き合っている」設定で青峰くんのことを考えながら「彼を裏切ることは出来ない」とアプローチを断ろうと試みたのだけれど、「でもこっちで何したって言わなけりゃ分からないじゃん」と返されてあまり効果はなかった……。そういうとこ現実的だね遊牧民。というか私自身がオープンリレーションシップ賛成派だから多分言葉に説得力無かった。

リトルペトラを出た段階でだいぶ薄暗くなってきているし、これ以上変態疑惑のかかったアブドゥルと一緒にいたくはなかったのだけれど、あいにくワディ・ムーサの街に帰ろうにも足が無い。仕方ないからさっさと行ってさっさと帰ろうと頭を働かせながらロバ乗るが、これがまためっちゃくちゃ遅い!!!!!もう大分ばててるでしょ可哀相に、いいよ私降りるよ!とアブドゥルに言ったら、本当に荒野のど真ん中でロバ降ろされて、え、ここで!?と思ったらアブドゥル、ロバに積んでいた絨毯を地面にしいて、星を眺め始めた!!!!!
この夜は満月だった。空を指差すアブドゥル。
「月が綺麗ですね」
漱石か!!!!!
そうだね綺麗だね、でも私そろそろ帰らないとやばいんよ。帰らせてくれよ。
強気に出てこんな薄暗い荒野に置き去りにされても困るから、なんとかアプローチを躱しつつ、相手の気分を損ねないようにワディ・ムーサまでつれて帰ってもらわねばならない。
私は悪意の無さをアピールしながら嘘をついた!!!!
「今晩八時から、Petra by nightっていう遺跡のライトアップイベントがあるみたいで、それに行きたかったこと思い出した。同じホテルに泊まってる友人(そんなものいない)も行きたいって言ってて待ち合わせてるから、それまでに着かないと心配して私のこと探し始めるかも」
折角敷いてくれた絨毯に座ろうともせず言い募る私に、ついにアブドゥルは折れて、再びロバに乗せてくれた。
今度の道は山道ではなく、コンクリ舗装の一本道。ロバにベドウィンと二人乗りなのだけど、だから本当にすっごく遅い!!!!!!!!!稀に隣を悠々と過ぎ去ってゆく車が羨ましすぎる。ヘルプを求めたいくらいである。

私にその気が全くないことをようやく感じ取ったのか、アブドゥルはやたら積極攻勢に出てくる。
身体を支える私の手に手を重ね「Japanese girlとは初めてだよ……」
じゃねえよ!!!!!どこのエロ同人だよ!!!!!!(二回目)
しかもこれ全部今にも力つきそうな哀れなロバくんの上で言われているセリフだから笑ってしまう。

まだかまだかと思ううちに、ようやくベドウィンの集落に辿り着く。
元々ベドウィンは渓谷に彫られた横穴住居に住んでいて、今も遊牧の時期などにはそちらに住んでいる人が多いらしいのだけど、現在ではほとんどが町に移住しているらしい。私が連れて来られたのもそこ。
既に辺りは真っ暗になっていて、私はしきりに、Petra by nightに間に合わないから早く帰りたい、と訴える。するとロバを村の端に繋ぎ終えたアブドゥル、最初は家族に紹介するだの夜ご飯を一緒に食べるだのと言っていたくせに、態度を一変。路肩に泊まっていた車の運転手に声をかけ、「この運転手は友達で、これから一緒にワディムーサまでごはんを食べに行くから、送って行ってあげる」とあっさり。
そう、ひきは実にあっさりでした。
それでペトラ(ワディ・ムーサの町)まで送って行ってもらって、車を降りたところでしかし、彼は手を差し出す。
「御礼にお金頂戴」
はじめはお金いらない、友達だからって言ってたじゃん!!!なーんて反論はここでは通じない。
別にそのままとんずらこいてもよかったのだけれど、私も疲れていたし、これ以上いざこざしたくなかったので、お金をくずすため近くの商店で水を買い、5JD(約750円)だけ渡した。少ないって言われるかな?と思ったけれど、こちらの人にとっては結構な大金らしく、何も言わず満足そうに受け取った。
しかしアブドゥル、そこでは終わらなかった。私の鞄を見て一言、
「最後プレゼントにこれ頂戴」
そう言って指差したのは、なんと、私の鞄についていた、黒子のバスケ青峰くんのラバーストラップ!!!!!駄目!!!!!それさっき話してた私の彼氏(夢)やねん!!!!!
“No! He is the one I was talking about……, he is my boyfriend!!”って言ったらさすがにぽかんとしてたけど。手は引っ込めてくれた。
別れてから、あんなに渡す義理なかったかもな、むしろチップ欲しいのはこちらだし、などとも思ってしまった。
別段何されたわけでもないけれど変態発言繰り返されて気疲れした。
これ見極めるの難しい。海外で、他人からの好意をどう受け取るか。
でもこれまでの経験からすると、海外で出会う旅人は割合に信用出来て、でも海外で出会う現地人は信用しない方がいい。
でも私自身、海外からの旅人を日本でもてなすの好きで、街中で困ってそうな人がいたら声かけて一緒に目的地までつれていったりするし、ご飯にも誘うし、どちらかというと性善説を信じたい人間だから、本当は、海外でも現地の人との出会いを大切にしたいのだけど。

ペトラでの夜をこんな感じで終わらせたくなかったので、ベドウィンの彼についた嘘の通りにPetra by nightに行く事にした。
結局夕食は食いっ逸れてしまったので、昼の残りの林檎を齧って腹の足しにした。

ペトラ・バイ・ナイトは、シーク(崖に挟まれた道)と、それを抜けた先にあるペトラ遺跡のメイン遺跡、「エル・カズネ」を蝋燭でライトアップするイベント。17JOD=2500円。ベドウィンの音楽や伝承語りなどが披露されるのだけれど、行った感想としては正直、価値をあまり感じられなかった。無料なら行く、というレベル。これに500円あまりを費やすのはいくらなんでも高い。せいぜい500円かな。500円でも疲れていたら行かないかな。

ペトラバイナイト

ペトラ・バイ・ナイトは、最後の一瞬だけエル・カズネが照らし出されます。

昼間に全貌を見ていれば十分。語りも、訛りの強い英語だからよく聞き取れなくて眠い。昼間動き回って疲れきった身体には、再びシークの長い夜道を歩くのはしんどい。
くたくたになって、入り口で再びタクシー交渉が待っていて、3JODで丘の上にあるホステルに辿り着いた時には心身共に疲れきっていた。ベッドを見ただけで意識失えるレベル。それでも、明日の宿も決めていな状況では情報収集が大切なので、それだけなんとか終わらせて、Booking.comで評判の高かったワディ・ラムのベドウィンキャンプを予約して(オーナーの人におすすめされたワディ・ラムの宿でなくて、自分で調べた方にしてしまったことが、少しオーナーさんの気に障ったのか、あまりいい顔をされなかったことだけ気がかりだったけれど)、自分の部屋(ドミトリーなのだけど、三人部屋を貸し切りで使わせてもらえた!)に戻って熱いシャワーを浴び、泥のように眠った。

ペトラ遺跡については、大分昔のものだけど、この方のブログが結構参考になります。
ロバ中山の旅日記

③ワディ・ラム(Wadi Rum)

翌朝、朝六時半に出るバスに間に合うように寝不足の身体を叱咤して起きる。
用意してもらった朝ご飯は、ヨーグルトに薄いアラブ風のパン、ジャムという質素なものだったけれど、チーズと一緒にお腹に詰め込む。
チーズ モロッコの砂漠でも人気だった牛さんマークのこのチーズ、Laughing Cow。全世界どこでも美味しい。
ペトラからワディラムへ向かう手段はほぼこの早朝のバス一本しか無い。各安宿の前まで迎えにきてくれる。乗っているのは観光客だけ。運賃は(確か)7JOD。値下げ交渉は不可能と考えていい。
バスに乗っていたのは主に世界各国からのバックパッカー達で、ウクライナ出身でオーストラリアに暮らすユダヤ人の女の子とか、インド出身で今はNYで建物を転がしながら悠々自適の生活をしている元エンジニアだとか、日本人だけどスペイン人と結婚して現地で暮らしている方とか、スタンフォードの学生だとか、色々いて非常に面白かった。そして話を聞いていて気づいたのが、彼等がほとんど同じベドウィンキャンプ(Bedouin Lifestyle Camp)というところに泊まるらしいということ。しかも複数人での予約だから、割引も効かせてもらって、自然保護区内のツアーだとか、食事とか全部込で40JOD。これは格安!
私は昨日レビューを参考にbooking.comでHasan Zawaideh Campというところを予約していたのだけど、これは食事もツアーも付かずに20JD。ツアーを付けると、おそらく60JODはいく。3000円の差である。
(ヨルダンは物価が安いように思えて、ペトラやワディラムでは面白い程にぼってくる。現地の遊牧民もiPhoneとか使ってる)

同じバスの人達が面白い方達過ぎるし、しかも安いし、そちらのテントに変更しようかと迷い始める私。でもBooking.comで予約してしまったからなぁ……。

ワディラム

ペトラからワディラムへ向かう途中の景色

このバスの中では、ワディラムでの宿泊先にいちいち運転手が電話して、乗客に回してくれる。
ワディラムでは宿泊先のベドウィンがビジターセンターなどまで迎えにきてくれるので、その手配のための予約の確認らしい。その電話で、予約キャンセル出来ないか、予約していたHasan Zawaideh CampのAliさんという方に交渉してみたのだけれど、「他より高いって言うんだったら安くするから!」の一点張りで電話を切られてしまった。

そしてバスがWadi Rumへ近づく中、なぜかビジターセンターへ着かないうちに一人バスを降ろされる私。え、なんで?と思っていると、Aliさんがここまで迎えにきていた。ビジターセンターの大分手前の地点で。この時点で嫌な予感がした。
テントへ向かうジープの中で、「日本人いい人。日本人大好き」と、よくありがちな褒め言葉を言ってにやにや笑っているAliさん。苦笑いの私。この時点で私の嫌な予感は確信へと変わっていた。

そして着いたのは、ワディ・ラム北部を走る鉄道沿いにあるこじんまりとした遊牧民のテント。

ワディラム
ここで重大な事実をひとつ。
・ワディ・ラムは、北部の村落「ディーシー」と南部の自然保護区に分かれている。自然保護区へ入るには、ビジターセンターで入場料を払って中に入らないといけない。

私それ、払ってない。
そう、私の宿は、この北部のディーシーで、厳密にはワディラム自然保護区ではなかったのである。

値段のことを聞いてみると、大丈夫他のテントと同じ値段にするよう計らうから、夕方に出発して夕陽を見て戻って来よう、と言って去ってゆくAliさん。後には私と彼の友達の遊牧民が残される。遊牧民達は携帯をいじりながら始終ごろごろしている。これ以外に仕事は無いようだ。
私は岩陰に座り、砂漠を一人眺めながら、締め切りの近づいていた同人誌の原稿執筆にひたすら打ち込む。

ワディラム
そして夕方、Aliさんの友達がジープでやってきて、ツアー行こうと声をかけてくれたのだけど、よくよく確認してみたら、
それで行くのはワディラム自然保護区域ではなく、ディーシー内の「もどき」みたいな名所三カ所だけだと発覚。値段下げた代わりに、行く場所をすり替えようとしていたらしい。他のところにも行きたいのなら追加料金が必要だと馬鹿高い額を請求され、迷った挙げ句、だったらツアーは行かないと断る。

夕方、もう一人このテントに予約をとっていた中国人の子とテントの周辺を歩く。
テントの近くには鉄道が通っていた。砂漠の上に日本の鉄路をひいただけの簡素な線路。ここに走る貨物車は、オスマン時代のヒジャーズ鉄道の残存部を利用したアカバ鉄道で、ヨルダンではリン鉱石をアンマンから積出港のアカバに運搬するために使われているらしい。静謐な砂漠に響く電車の音は結構うるさかったけれど、線路の上を歩くのは楽しかった。

アカバ鉄道
また、夜やってきて一緒に泊まることになった韓国人二人組も非常にいい人達だった。
二人はそれぞれ留学を何度も繰り返した後に公認会計士になったり、コロンビア大学で学びながら国際機関でインターンしていたりする強者で、見た目はアジア人らしく私より年下にさえ見えるのだけどしっかり者で、翌朝アカバに向かうからよかったら乗って行きなよとライドをオファーしてくれた。
本当に有り難い。

追加8JOD=1200円程で出てきた夜ご飯。質素だけど美味しかった。

ワディラム遊牧民料理
その夜、韓国人二人と中国人の女の子と私とを乗せて、遊牧民が月の見えるスポットまで連れて行ってくれた。
砂漠の見所といえば、美しい星空が挙げられると思うのだけれど、今夜は満月のため、星はあまり見えない。この間サハラに行ったときもそうだった。新月に恵まれない私、でも月の砂漠はどこか神聖で美しい。

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夜、眠りにつく。そこでもまた不満があったのだけれど、それについては下の宿情報……というか文句で。

★ワディラム宿情報★
「Hasan Zawaideh Camp」
Booking.comで私の訪問時9を獲得していたキャンプだが、オススメできない。
理由という名目の愚痴は以下。
・Aliさん親切と皆さん書かれていたけれど、多分お金を払う人に対しては、という条件付きだと思う。私達には何の説明も無く、ただ夜月がよく見える場所につれていってもらっただけ。朝もバスの時間とかあるのに完全に放置。
・そもそも自然保護区の中に無い。その手前の入り口で、道路とか線路とか電線とか通りまくりなので、景色も良くない。しかも電車と車の音がうるさい。
・大切だからもう一度書く。いわゆるワディ・ラム保護区の中ではない!その手前のディーシーエリアにあるキャンプ!
・高い。20JD/night。同じクオリティでもっと安いところがあるはず。
・夜、ものすごい蚊が出る。私20カ所くらい刺された。全身ぼこぼこになってた。サソリとかいないからテントの入り口開けたまま寝ていいよと言っていたのに、外で寝ることに対しては、やめろと言われる。でもテントの中は暑過ぎて寝るどころではない。(なのに遊牧民達は外で寝ている)
・夜、なんのアクティビティも無い。歌とか何も無い。完全に放置プレイ。遊牧民さん携帯いじってるだけ。
・wifi有り、温水シャワー有りと書いてあるけれど、wifiは携帯のテザリングなのでいちいち頼まないといけないし、シャワーは水。電気も無い。(はじめからそうと知っていれば別に水も電気もwifiも無くて構わないのだけど、ある、と書いてあるのにこれだから、少しがっかり)
・宿の周りが割にゴミだらけ。
・朝、バス停まで送って行ってくれる約束だったのだけど、他の宿泊者がそこまで車で行くから乗せてってもらえ、と言われ、自分は朝誰よりも遅くまで寝ている。朝食を7:30に出すと言っていたのに7:50になってようやく起きる。こちらは後の予定もつかえているから、かなり困った。しかも起きてからも一言も喋らない。無言。
・そういうわけでジープツアーも何もしてないから、絶対こうとは言えないのだけど、ワディラムよりそもそもサハラ砂漠やグランドキャニオン・モニュメントバレーの方が余程インパクトあって綺麗。ワディラムは別に行かなくてもいいかも。

ワディラムのテントはたくさんあって困ると思うけれど、それがどこに位置しているのかに要注意!
よく写真で皆が撮っているアーチ状の岩など、見所は南部の奥。北部の宿に万一泊まってしまいツアーで行こうとすると「遠い」という理由で断られたり、高額を請求されたりする。
予約はしなくてもいいと思う。ペトラから行くなら、その行きのバスで意気投合した旅人にくっついていくのが一番確実かと。その方がジープツアーも複数人の交渉力で安くできるかもしれないし。

とまぁ色々書いてしまったけれど、岩の影で休みながら気ままに文章書いたり、眠くなったら寝たりするのは、それはそれでよかったのかもしれない。

あと、翌朝一番に朝日を見に行ったのだけど、なかなかに綺麗でした。

%e3%83%a8%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%82%99%e3%83%b3%e6%97%8536ワディラム朝日 ワディラム朝日 ワディラム朝日
ちなみにこのワディ・ラムで私は東大の学生証と、日本でチャージしたてのほやほやだったSUICAと、大和アレクサンダーくんのどでかいアクリルキーホルダーを落としてきました。どれも大切な物です。見つけた遊牧民の方は至急ご連絡下さい。

④アカバ

翌朝、ワディラムからアカバへ移動。
元々は朝6:30頃に現地民向けのものが5JDほどで一本だけ出ているバスに乗るつもりだったのだけれど、韓国人二人のライドのオファーに有難く乗ることに。
なかなか出て来なかった朝ご飯のあと、9時頃にようやく出発。アカバまでは30分ほどで到着。

アカバビーチ

アカバ市街地近くのビーチ

 

アカバ市街地

アカバの市街地

アカバは紅海に面する港湾都市。エジプト,イスラエル,ヨルダン,サウジアラビアの国境線がごく狭い範囲に集中している。

空気中の水分が多いため薄らと靄がかって見える海の向こうの町は、もう別の国。

元々、アカバ到着後ビーチを一人で見てからイスラエルへ国境越えするつもりだったのだけれど、流れでそのまま韓国人の二人にくっついてゆくことに。
荷物だけはビジターセンターに預けて(無料でスーツケース置かせてくれた!)
アカバの市街地から少し南に下ったところにあるビーチへ。
アカバ市街地にもパブリックビーチがあるのだけれど、こちらは車を持たない現地の人々でごみごみとしていて、汚い印象。よく言えば庶民的といったところか。皆さんも行くなら南のビーチエリアまでどうぞ。バスもあるらしいです。

アカバビーチ

遠くにはタンカーも見える

 

アカバビーチ

韓国人の二人はTシャツにハーパンでシュノーケリングをして遊んでいる。私にもTシャツを貸してくれると言ってくれたのだけれど、着替えるために入ったトイレが非常に汚過ぎて着替える気を失い、私は太腿から下までを海に浸す形で浅瀬を歩くにとどめた。

 

アカバビーチ

現地の女の人は、真っ黒なアバヤをまとったまま波打ち際で家族と遊んでいて、私のような、カジュアルな格好で膝から下の出るショーパンを履いたような人間はじろじろ見られる。

 

アカバビーチ

途中桟橋があって、そこからは美しいエメラルドとサファイア色の海が見えた。美しすぎる。

 

アカバビーチ

沈むビール瓶

流石に歩き飽きたので、二人がシュノーケリングを終えるまで、日傘の下で日本から持ってきたアラブに関する本を読もうとしたのだけれど、地球の歩き方いわく「ドライヤーのような」とも形容される熱風が吹いてきて、とうてい本を読むどころではない。
持ってきた水もありえないくらいに温められている。

そうこうするうちに、二人が海から上がってくる。気づけばもう二時間程が過ぎている。
車で市街地まで戻り、ビジターセンターの近くにあったヨルダンのファーストフード店でご飯を食べる。
これが結構美味しい。串焼き肉とか、レモンミントのソフトドリンクとか(モヒートのアルコール無しバージョンをフローズンにしたような感じで、とても美味しかった。総じて、ヨルダンの飲み物は美味)

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アカバについてはこの方のブログが非常に参考になります→亜細亜の街角

食事の後、イスラエルへ向かう私に、韓国人の二人が、私を国境まで送ってくれると申し出てくれた。多分優しさと義務感と半々で。
こんなにもお世話になってしまい申し訳なさで一杯だったのだけれど、正直タクシーとの交渉も疲れるので、有難くその申し出を受け、アカバとイスラエルの国境まで送ってもらう。
アカバの市街地から国境までは15分ほどのドライブ。
国境は閑散としていて、私以外に人影はない。

イスラエル国境 イスラエル国境
厳しいと言われていたイスラエル越境。
確かに質問は厳しくて、これまでに私の訪れたアラブの国、つまりはUAEとヨルダンで、何をしていたのか、誰と、どれくらい行って、どこに滞在したのかなどを根掘り葉掘り聞かれた後に、スーツケースを開いて中身全部チェック。
私イスラエルの友達へのお土産にって、自分の作った同人誌……表紙にR18って書いてあるやつ……を何冊かスーツケースに入れていたから、それつっこまれたらどうしようと思ったのだけれど、そこは完全にスルーだった。よかった。

荷物を詰め直すのは各自の責務。詰め直し終わって外に出る。誰か他にエイラットの街中に行く人がいればタクシーシェアしてもいいな、と思ったのだけれど、生憎誰も来そうになかったし、時間がかかるのも嫌だったので、一人で市街地に向かうことに。
国境管理の建物の前には、タクシー待ちようの簡易待合室があって、私が着いた時はタクシー一台もいなかったのだけれど、私が管理官の女性に声をかけたから呼んでくれたのか、比較的すぐにタクシーが到着した。
エイラットのバスターミナルまでは42NIS(1NIS=25円なので、1000円くらい)、15分くらい。

今日はこのままエイラットから一気に北上してエルサレムまで向かう大旅行日。
バスは一日に五本ほどで、午後にあるのは16:30の次は21:30。444という番号のバスに乗ればOK。
バスの発車時間までは一時間程あったけれど、荷物を預けられる場所は40分弱で500円くらいとるし、物凄く熱いし、(45~50度くらいあったらしい)水だけ買ってここでもバスターミナルのベンチで原稿することにする。

エイラット

エイラットのバスターミナル

イスラエルバス

エイラット〜エルサレムを結ぶバス444

バスは座席指定制。私は一番後ろの席だったのだけれど、充電OKでWifiもサクサク通るので、非常に快適。
隣の女の人が犬をつれこんでいて、ワンコが始終となりにいたのはびっくりだったけれど。
約4時間、夜8:30頃にエルサレムの中央バスターミナルに到着。
今晩10時に、これからエルサレムで私を泊めてくれることになるイスラエル人のアニメ友達、Semと待ち合わせをしている。
このターミナル内にはフードコートがあって、そこにあるマクドナルドが無料Wifiを垂れ流しているので、それを使わせてもらう。
この日は金曜日……ユダヤ教の安息日シャバットのため、夜9時頃までお店はどこも開いておらず、その後に今更!?という感じでオープンし始める。パン屋さんも焼きたてパンが並ぶのは夜8:30過ぎだ。そのパン屋さんで美味しそうだったパンを買い、パソコンでTwitterをチェックしていた、そんな矢先、「Are you Yuka?」と声をかけられた。
振り返ると、Semが笑っていた。
私達は友達の紹介でオンラインで知り合って、これがお互い初顔合わせ。それでもSemは私のアジア風の風貌と、ラバストじゃらじゃらの私の鞄を見て、一目で分かったらしい。
10時の予定がバスがいつも以上に早く着いたの、と言うSemと熱い抱擁を交わす。

こうして私のイスラエル滞在が始まった。

次回、中東アニメ縦断記、イスラエル編を挟んで、イスラエルアニメイベント編へ続く予定です。

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